2011年9月14日水曜日

続編のようなもの:名探偵の呪縛/東野圭吾

昨日今日と、自転車いじりを楽しみましたが、楽しんだ割に成果がイマイチ。
むしろワイヤーがひどい状態になった分、悪化したとすらいえる今日この頃です。
まぁ、自分の経験値だと思えば……うっ(涙)

と言うことで、自転車いじりの成果がイマイチなので、本日は読書ネタを。
以前紹介した、『名探偵の掟』の続編のようなもの、『名探偵の呪縛』です。
これまた刊行は古い(1996年)で、実は昔に読んでいたのですが、『名探偵の掟』を紹介した際に、再読しておりまして、今回の紹介となったものです。

ところで、「続編のようなもの」って続編ちゃうんかい、と突っ込まれた方。
「バールのようなもの(※)」がバールでないように、「続編のようなもの」は、純粋な続編ではないと僕は思っています。詳しくは後述します。

※清水義範氏の著作です。落語にもなっています。

【粗筋】
作家(おそらく東野圭吾氏本人を投影している)が、図書館での調べもの中、不思議な世界へと迷い込んでしまう。
そこは「あるもの」が欠けた世界だった。
その世界で、名探偵天下一大五郎として、盗掘品の探索にあたるが、行く先々で殺人事件が起こる……。

【感想】
一部の登場人物(天下一大五郎や、大河原警部など)は、『名探偵の掟』からの引き続きの登板ですが、粗筋にも書きましたが、『名探偵の掟』の世界観が微妙にを踏襲しているような、踏襲していないような。そんな感じの作品です。
『名探偵の掟』が連作短編集なのにたいし、本作が長編になったから、と言うのもあるのかもしれません。

前作(あえてそういうならば)の『名探偵の掟』が、本格推理小説のお約束や矛盾をあざ笑い、「本格推理小説との離別」を宣したような内容だとすると、本作は、「本格推理のお約束や矛盾を気付きつつ、本格推理小説との復縁」を謳ったような作品に読めます。
両作品とも、東野圭吾氏の本格推理小説に対する深い造詣と愛情が伝わる作品です。

しかし、万人向けかと言うと、そうではないと僕は思います。
単純な読み物としてみると、ミステリとして読むには若干浅いように思いますし、前作の毒々しいユーモアは本作にはありません。
個人的な感想として、読み物としての面白さは『名探偵の掟』>本作です。

東野圭吾氏のファンが、氏のミステリに対する思いを読み取るガイドラインとして、『名探偵の掟』とあわせて読むのが、ベストな読み方かもしれません。

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